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日記

DIARY

清酒発祥の地ともいわれている歴史ある街の伊丹市は兵庫県の南東部に位置し、東西に猪名川、武庫川という河川が流れています。

市域は全体的になだらかで丘陵地となっており、「伊丹大地」と呼ばれることもあるそうです。

市東部には大阪国際空港(伊丹空港)の滑走路や一部ターミナル、モノレールの駅などがあり、大阪府豊中市などの土地にまたがる形で整備されています。

大阪市からは約10キロメートルという立地で、JR福知山線や、阪急伊丹線(塚口駅で阪急神戸線に乗り換えが必要)を利用すれば30分とかからずに大阪駅や梅田駅にアクセスすることができます。

そんな伊丹市で気軽に触れることができる自然のことを思いつくままに報告していこうと思います。

まずは何といっても昆陽池公園は外すことができないのではないでしょうか。

関西屈指の渡り鳥の飛来地として有名で、秋から冬にかけては多数のカモなどが池などで観察できます。また渡り鳥だけでなく、四季折々の多数の野鳥も手軽に観察できるスポットとして愛鳥家だけではなく写真家や家族連れにも大人気となっています。先日もコウノトリが飛来しニュースになりましたのでご覧になられた方も多いかもしれません。

※公園内には給餌池や野鳥観察橋も設置されていますが、公園管理をされている方々が餌を十分すぎるほど与えておられますので、ここでは観察するだけにとどめておいてください。

普段から目にすることの多い野鳥を含めて、いろいろな野鳥を観察することができましたので、興味のある方は双眼鏡を片手に昆陽池公園内を探索してみてはいかがでしょうか。もちろん野鳥のみならず、たくさんの昆虫たちとも出会うことができます。

観察日2022年5月18日(水)

観察時間13時~15時

観察場所昆陽池公園内

観察できた野鳥(順不同)スズメ、ドバト、ハシブトガラス、アマツバメ、カワウ、チュウサギ、アオサギ、カルガモ、カワセミ、ハクセキレイ、キジバト、シジュウカラ、コゲラ、センダイムシクイ

 

8倍から10倍くらいの双眼鏡があれば、初心者でもこんな野鳥たちと出会うことができます。

また、声だけですがキビタキの鳴き声が林の中で響いていたので、次回はぜひとも姿を拝めたらと思っています。

公園外になりますがムクドリやイソヒヨドリなど、いろいろな野鳥がいたるところで観察できますので、皆様も鳥の鳴き声が聞こえたら、足を停めて探してみてください。

伊丹のありふれた自然に触れあえることができることでしょう。

そんな伊丹に興味を持たれた方は三福不動産へぜひ。

素敵な住まいをご提案いたします。

・・・営業(笑)

写真はご近所の民家の雨戸の戸袋に営巣し、孵化した雛に餌を与えるために周辺を確認しているムクドリの成鳥です。

投稿日:2022/05/19投稿者:西村 洋史

両親が暮らしていた実家。

5年前に父が、3年前に母が亡くなりました。

土地建物とも兄弟2人で相続しましたが、家も昭和45年築と古く

既にそれぞれ自宅を構えていて、この先戻る予定もありません。

売却して半分ずつ現金で分けようと思いますが、いつ売ればいいでしょうか?

取得してから5年以内に売ったら税金が高くなると聞いたような・・・。

というご相談です。

 

「長期譲渡所得」と「短期譲渡所得」のことですね。

土地建物を譲渡した年の1月1日現在において、

所有期間が5年を超える場合を「長期譲渡所得」

5年以下の場合を「短期譲渡所得」として区分されます。

(1月1日現在、という点は要注意です。)

売却によって利益が出た場合、この利益に対して課税されるのが

「譲渡所得税」です。

計算方法等は別の機会に改めますが、

「長期譲渡所得」の税率が20%(所得税15%・住民税5%)なのに対し、

「短期譲渡所得」の税率は39%(所得税30%・住民税9%)と倍近くになります。

これなら5年経つのを待ってから売った方がいいのでしょうか?

 

答えはノーです。

まず、所有期間が5年を超えるかどうかという点ですが、

相続の場合、取得時期を引き継ぐことができます。

つまり「両親が購入なり新築した日から」の計算になるので、

長期譲渡となることは間違いありません。

 

ということは、焦らずいくら時間をかけて売却してもいいでしょうか?

これも答えはノーです。

 

今回のご相談の場合、たとえ計算上利益が出たとしても、

譲渡所得税がかからなくなる可能性があるためです。


自分が住んでいた家を売った場合、利益から3000万円を引くことができるかも?

「居住用財産の3000万円特別控除」です。

(売った先が特定の親族や同族会社の場合は適用外、3年に1度しか使えない、

など例外はありますが、今回は詳細は省きます)

この特別控除は、相続した家でも適用になる場合があります。

その条件は

①相続開始の直前において、被相続人が居住していた住宅であること

②昭和56年5月31日以前に建築された住宅であること

③売却時、耐震リフォーム等を行って新耐震基準とすること、

 または建物を取り壊して更地で売却すること

 

 元々リフォーム済みで新耐震基準を満たしている場合を除いて、

ほぼ間違いなく更地にして売却することを選択することになるでしょう。

解体にも費用が掛かるので、売主が更地にして引渡すことを条件にして

買い手が見つかってから解体するという方法もあります。

ただし、

相続発生から3年を経過する日の属する年の12月31日までの譲渡に限られます。

 相談のケースでは、お母様が亡くなったのが令和元年の11月なので、

今年令和4年の12月31日までに譲渡しなければ特例が使えないことになります。

利益が1000万円なら約200万円の譲渡税がかかるところでした。

 

伊丹市で空家、相続に関してお悩みの方は、昭和45年創業の地域専門店、

三福不動産株式会社にお気軽にご相談ください!

来店予約・お問い合わせはこちらからどうぞ

 

 

 


投稿日:2022/05/02投稿者:印藤 雅典

前回のブログで容住寺が出てきましたので、今回は、これについて書きたいと思います。

国道176号線から天王寺川を北に少し行くとその寺はあります。

寺の前にある看板には次のとおり書かれてありました。

 

聖徳太子ゆかりの地 容住寺

 市内で唯一の天台宗のこの寺は、聖徳太子が開祖

と伝えられている。

 寺の縁起によると太子が大阪の四天王寺から中山

寺へ向かう途中、荒牧の地で松に馬をつなぎ、柳の

下にあった大石に腰を掛けて休息した。このとき、

霊感をうけ「われこのときに容(かたち)を住(と)め置きたし」と容

住寺を建てたという。

 本尊は十一面観音で、太子十六歳の像も安置され

ている。

 境内には現在も「太子腰掛け石」があり、門前には

「駒繋の松」の碑が建っている。

 ほかに、太子が名香を薫じたという「香の藪」の跡

地の碑が天日神社東側に建っており、諸人に仏の道

を説いたという川辺にちなんで名付けられた「戒の

川」が天神川として現在も流れている。

 また、太子の休憩中、愛馬が草原を開拓したとい

われる「馬田」が、小字名として現在も残っている。(原文ママ)

 

ちなみに「馬田」は現在はありません。

なお、本文に出てきます「木造十一面観音坐像」は伊丹市の有形文化財に指定されていますが、一般公開されているかどうかは分かりません。

 


投稿日:2022/04/04投稿者:野口 大輔

伊丹市の旧地名 今回は、荒牧です。

 

 荒牧の地名の由来については、一説に昔この地に牧場があったことからと言われます。また、

他の説には聖徳太子がこの地の河岸の柳で十一面観世音を刻んで仙柳山容住寺を建立し、付近

を開墾して寺田とした時、初めて種を蒔いた地を「アラマキ(新蒔)村」と称したことからと

も言われています。

 荒牧1丁目~7丁目の旧地名のうち「三ノ坪」「九ノ坪」は川辺北条の条里地割の坪地名が残

ったものです。また、荒牧には用水として「堂ケ本池」「上ノ池」「下ノ池」がありました。今で

は埋め立てられて、それぞれ大型店舗、大学、中学校の用地となっています。

 荒牧南1丁目~4丁目の旧地名のうち「城里ノ前」「鍵田」「黒丸」「土橋」などは中世の館(城)

 「長野」「桑田」「下田ノ口」「御影」など、天神川までの間には、昭和17年(1942)に国が

土地を買い上げて「大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠」をつくり、軍用馬の蹄鉄や医療品などの生

産・管理を行っていました。

 地図に表示していますように多くの旧地名がありましたが、平成11年7月5日より荒牧1丁

目~7丁目として、平成13年11月5日より荒牧南1丁目~4丁目として、住居表示を実施し、

使われなくなりました。

 この表示板は、これらの旧地名を永く後世に伝えるために作製したものです。(原文ママ)


この看板の所在地は、写真をご参照ください。

投稿日:2022/03/21投稿者:野口 大輔

長らく滞っておりましたが、今回は東野です。


 東野村は、江戸時代の寛永六年(一六二九年)から開発が始まった

新田中野村の枝郷です。最初は、幕府領でしたが、貞享三年(一六八六

年)からは武蔵国忍藩(埼玉県)領、文政六年(一八二三年)から再び

幕府領となりました。明治三年(一八七〇)廃藩置県の実施によっ

て兵庫県に編入され、明治二二年(一八八九年)に、町村制がしかれ

稲野村に属しました。昭和一五年(一九四〇年)には市制施行により

伊丹市域に入りました。東野村の北部にある春日神社は、以前、鎮守

の牛頭天王社(素戔嗚神社)と呼ばれ、明治四二年(一九〇九年)に

大野の神社を合併してできたものです。

 この地は、昔から苗木の栽培がさかんで、明治には柑橘類の苗木

を一〇万本以上もアメリカへ輸出していました。また、昭和に入る

と苗木の燻蒸室や検査所も設置され、昭和二五年(一九五〇年)には

八二万七千本もの苗木が作られるようになりました。植木業は、

その後も東野の代表的な産業になっています。(原文ママ)

この看板は、東野センター(伊丹市緑ケ丘6丁目)の前にあります。

投稿日:2022/03/07投稿者:野口 大輔