本日は体育の日です。3連休最終日、いかがお過ごしでしょうか。3連休初日、関西は台風の影響がさほどではありませんでしたが、その他の地域では大変なところもあるようです。
弊社では、この3連休に大野の伊丹大野パークホームズでオープンハウスをしております。13:00~17:00までですので、ぜひご来場ください。
さて、本日は、大野の由来についてです。
弊社がある荻野の東隣、大野とはいったいどんな地域でしょうか。私が思いつくのは、飛行機です。伊丹空港を飛び立った飛行機が旋回をし始めるのがちょうど大野の上空あたりです。大きな音をたてながら翼を傾けて飛んでいきます。
それから、ここ、大野も造園業が盛んです。造園業は宝塚市の山本付近にたくさんありますが伊丹市も負けてはいません。なんといっても山中育樹園株式会社さんがあります。私もプライベートでは何度か訪れ、10,000㎡の大植物場をのんびり見て回ったことがあります。植物が好きな方はぜひ訪れてみてはいかかでしょうか。
大野と山本野里、伊丹市と宝塚市の境界がややこしいのも特徴です。こちらは伊丹市で隣の家は宝塚市という場所が沢山あります。なぜ、こんな分け方をしたのでしょうか・・・。
あとは・・・思いつくとすれば、荻野幼稚園が大野にあります。この幼稚園の隣には荻野小学校がありますが、荻小は荻野にあり、幼稚園は水路を挟んで大野にあります。
その他の荻野と大野の違い・・・それは、大きな分譲マンションがいくつかあることです。荻野は小ぶりな分譲マンションがいくつかありますが、大野はそこそこの規模のあるマンションがいくつかあります。
さて、本題に入ります。大野は昔、山本村(現在の宝塚市)の草刈り場でした。
江戸幕府第4代将軍徳川家綱の頃の延宝4年(1676年)に開発が始まりました。
その後第8第将軍徳川吉宗の頃の享保15年(1730年)に本格的に開発されて農耕地になったので、大野新田と呼ばれるようになります。
その後、幕府領、一橋家領を経て、兵庫県に編入、伊丹市山本になり、町名変更によって大野1丁目~3丁目に改められたのは1954年ということですから今から65年前のことです。
その後の大野がどうなっていくのか・・・それは、またの機会にしましょう。
今回のブログは、大野センターの前にある看板を参考にいたしました。