伊丹市の旧地名③ 東野
長らく滞っておりましたが、今回は東野です。
東野村は、江戸時代の寛永六年(一六二九年)から開発が始まった
新田中野村の枝郷です。最初は、幕府領でしたが、貞享三年(一六八六
年)からは武蔵国忍藩(埼玉県)領、文政六年(一八二三年)から再び
幕府領となりました。明治三年(一八七〇)廃藩置県の実施によっ
て兵庫県に編入され、明治二二年(一八八九年)に、町村制がしかれ
稲野村に属しました。昭和一五年(一九四〇年)には市制施行により
伊丹市域に入りました。東野村の北部にある春日神社は、以前、鎮守
の牛頭天王社(素戔嗚神社)と呼ばれ、明治四二年(一九〇九年)に
大野の神社を合併してできたものです。
この地は、昔から苗木の栽培がさかんで、明治には柑橘類の苗木
を一〇万本以上もアメリカへ輸出していました。また、昭和に入る
と苗木の燻蒸室や検査所も設置され、昭和二五年(一九五〇年)には
八二万七千本もの苗木が作られるようになりました。植木業は、
その後も東野の代表的な産業になっています。(原文ママ)
この看板は、東野センター(伊丹市緑ケ丘6丁目)の前にあります。
投稿日:2022/03/07 投稿者:野口 大輔